序文
日常はいつでも抱える以上の不可視の倦怠感を所持し、いつの間にその加重は常設になる。
今年で北枕ツアーも5回目を迎え、なんとか危うい綱渡りながらも、ココまで来ました。
ココまでってどこまでだ。過去を連綿と繰り返す時の区切りならば、花びらにあたる日差しや
冷空で飛行するツバクロの動線を感じれば、少なくとも今私達が居る時空間を知る導にはなるかも知れない。
桜が散り、浮ついた悲しい未来は抱えきれずボロボロと路上に散在する。
私達はそれを、無視しさまよい彷徨き、何らかの指針を探求するが永遠に見つからない。
それでも花びらは退廃的で美しく必然的に日々を肯定する呟きを象ろうと試みる。
津軽は地獄しか産まないと誰が言った。
せめて地獄ならば生きる力になろうに。
私達は路上を彷徨く。
季節はもうリンゴの花が咲く頃だ。
林檎の名前の由来は中国の書物「本草網目」にこう記されていた。
「林檎一名来禽,言味甘熟則来禽也。」
(林檎(りんきん)の果は味が甘く多くの禽(鳥の意)を
その林に来らしむ。故、来禽(らいきん)の別名がある)
私達は今年もまた、
北枕ツアーという林檎の花の周りを、匂いに釣られてやって来、
その自己の所存の恐怖を口述しようとまた、命を乱雑に絡げて、言葉遊びで自殺するのだ。
ココまでってどこまでだ。
領域指定は無くて、あるのは
絶望的な世界の全部なのだ。
北枕ツアーは始まらないし、終わらない。
林檎の花に集まった表現者らがすることは
恐怖を光で誤魔化すだけだ。
2009年、北枕ツアー。
どなた様も是非ご覧アレ!
生死に精子が着床し
不気味な光が産まれる世界。
『北枕ツアー2009』
林檎の花の咲く頃に。
北枕実行委員会
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